白川 鮎美(しらかわあゆみ)
1980年2月6日 長崎県生まれ
血液型:A型
好きな言葉:可能性は無限大∞
趣味:人を美しくすること、旅行、料理
長所:まっすぐなところ
短所:しっかりしてそうに見えておっちょこちょいなところ
現 職
立憲民主党長崎県連 幹事長
所属団体
・立憲民主党 長崎県連 幹事長
政治に関する活動
・認定NPO法人BPW連合会 長崎クラブ副会長
ジェンダー平等の実現に関する活動
・NPO法人ピンクリボンながさき 会員
乳がんをはじめ女性特有の癌の啓発活動
・NPO法人葵会 会員
乳がんをはじめ女性特有の癌の患者様に寄り添う支援活動
・国立佐世保工業高等専門学校同窓会 幹事
科学技術と母校の発展のための活動
・NPO法人ながさき千本桜の会 理事
自然環境美化、清掃活動ボランティア
学 歴
国立佐世保工業高等専門学校 卒業
佐世保市立崎辺中学校 卒業
佐世保市立天神小学校 卒業
佐世保市立天神幼稚園 卒園
活動報告
YouTubeやSNSを通じて、白川あゆみの活動情報をお届けします。
エピソード
幼少期
1980年2月6日白川家の次女として誕生する。2歳上の姉、5歳下の弟の3人兄弟の真ん中子。
幼稚園の運動会では、家族に手を振りながら走るおっとりとしたマイペースな性格だった。
弟ができたら何事も「あゆみがするー」が口癖で弟のお世話が大好きだった。
小学校時代
小学校時代は、ミニバスケットボールに夢中になった。
このころはまだ身体も小さく、大きな選手に吹き飛ばされながらも立ち向かった。相手にボールをはいと渡してしまうようなマイペースな性格も、負けず嫌いへと変わるきっかけとなった。
中学校時代
中学校時代は、姉の影響でソフトボール部に入った。
1年生の時は球拾いの最中、隣のサッカー部の先輩に夢中になった(ミーハー心が芽生えた瞬間)。長くしなる腕を武器に2年生からピッチャーとしての才能を発揮しエースとして活躍、チームの県大会入賞に貢献した。ピッチャーという役割から、責任感、プレッシャーに対する強い忍耐力、チームメイトへの信頼など精神面を大いに鍛えられた。
生徒会では広報委員長を務め、校内放送の面白さを知る。
高校時代
理科の実験が好きなこと・家から歩いて通えることを理由に佐世保高専物質工学科へ進路を決める。
5年間ほぼ男子校(女子の割合は今も1/4程度だそうです)の高専で学業・部活(バスケットボール)・バイト(CDショップと家庭教師)・恋愛と高専生活を満喫し二十歳で成人式と卒業式を迎えた。
今改めてふりかえると、一見男性社会で女性にとって大変そうに見える高専だが、留学生も多く15歳から20歳までが同じ学舎で生活する中で、柔軟性や多様性が備わった。
「就職氷河期」を経験
2000年、この頃の新卒者は「就職氷河期世代」と呼ばれ、一人数十社、数百社も履歴書を送り、面接にこぎつけてもなかなか就職が決まらない、挙句のはてに派遣や業務委託という雇用形態でなんとか就職、私もそんな一人だった。
高専を卒業しデスクワークが何かも分からないままIT企業に入社、プログラマーの職に就いた。
自分がもらう給料と、出向先から会社に支払われる人件費の差に驚き理不尽に思ったのが社会人のスタート。
パソコンとのにらめっこの毎日で眉間にシワが刻まれ、声をかけるのが怖いと後輩に恐れられた。
どんなに徹夜をして頑張っても「もっと便利に、正確に」を追求され、仕事のやりがいと生きがいについて疑問を感じていた。
ワークライフバランスとライフワーク
週に一度のアフターファイブを楽しむために始めた趣味のネイルアートで、自分自身を大切にすることに喜びを感じた。人に施すことで喜ばれるこの職を仕事にしたいと、本気でプロを目指し学び美容業界に転職を決める。
自分が喜びを見出せたことで、人の役に立ち必要とされる仕事をしたい!プログラマーの時とは違う仕事へ価値観が生まれた。
天職をみつける
ネイルだけに留まらず、カラー、ヘアーメイク、マナー、心理学と「外面・内面・精神面の美」を追求し、美容コンサルタントへと転身。
女性は美しくなることで自信を得て人生が輝くことを伝え、多くの女性の人生をサポートしてきた。
長崎から世界へ
地元長崎の女性の美意識の底上げと地域活性化を目的とし、美の最高峰ミス・ユニバース長崎大会の開催を志願、立ち上げから3年間運営・教育の中心となって活動した。
2年目から2年連続日本代表が誕生し、長崎の女性が大きく世界へと羽ばたいた。
地元へ恩返し
ミス・ユニバースの育成経験を通じ、人の可能性の素晴らしさを目の当たりにし、自らの可能性も開花すべく独立起業。
「人が魅力的になると、企業・地域・社会が魅力的に変化する。」を理念に掲げ企株式会社Ashを立ち上げ、すべての女性・男性・働く人々へ「魅力的な人づくり」を推進する人財育成事業を行う。
社会貢献活動からの学び
ジェンダー平等を目指す活動、乳がんの早期発見啓発活動、災害支援活動、こども食堂支援などの活動を通じて、社会の不平等さを感じ「弱い立場の人の声は小さい。
だから私は、その声を束ねスピーカーのような役割になりたい」と強く心に決めた。
女性政治家との出会い
地元県議とのご縁をきっかけに今まで遠い存在だった「政治家」という生き方に興味を持った。
彼女の政治姿勢が強く、優しく、そして命がけなことに感銘を受けた。
可能性への挑戦
すべての人が自らの可能性を信じチャレンジすれば、望む人生を実現できる社会を目指す。
私の新しい可能性への挑戦が始まった。<